四七キロの海岸線を持つ沼津市。この海岸線の特徴を生かし、まちづくりを行っている地域が西浦地区にある。西浦と言えば多くの市民は、年間を通してスキンダイバーが訪れる大瀬海岸を思い浮かべるかも知れないが、大瀬の手前にある古宇(こう)海岸では十二年前から「古宇磯祭り」を毎年初夏に実施し、東京都や神奈川、埼玉、山梨、長野県など県内外から多くの参加者を迎えている。
古宇は沼津駅から約二二キロ、車で順調に流れて四十分程、戸数六十、人口二百人余りのみかん栽培と漁業を生業とした、言わずもがなの過疎の村。後継者不足と高齢化が進む、じり貧の村を何とかしようと立ち上がった有志が、危機感をバネに「二十一世紀の新ふるさとづくり」をテーマに一九八六年、有志十五人で勉強会を発足。
八八年、同地区には大手開発業者による「古宇マリーナタウン構想」という開発計画が舞い込み、地元住民も開発委員として参加。計画はバブル崩壊とともに消えたが、地元委員は企業側のノウハウをしっかり吸収していた。
バブルの最中、沼津と東京新宿を直結する「あさぎり」が開通し、また、市の開発構想にあった沼津港と古宇を結ぶフェリー案を機に、電車と船を利用した首都圏からの誘客を計画。勉強会の基本構想にあった「エブタイドパーク(引き潮公園)計画」を基に「古宇磯祭り」構想が誕生した。
引き潮時に現れる約〇・八ヘクタ−ル。磯と砂浜を利用したイベントで客を集めようと九一年、自治会主催の「古宇磯祭り」を企画。町おこしのイベントは無料が当たり前の当時、資金がない委員会は「料金を払っても参加したくなるイベントでなければ町づくりにつながらない」と開き直り、参加料は有料にした。
あさぎりの到着時刻に合わせ、沼津港からチャーター客船で古宇港に来る客の参加料を含む料金を大人三千円、子ども千五百円、船を利用しない場合は各々五百円引きに設定。
新聞や広報紙に協力を依頼し、首都圏百五十人、市近郊から百五十人を募集したところ予想を上回る七百一人から応募があったが、初めてということもあり対応出来る範囲として三百五十人を迎えた。
成功裏に終えた祭りだったが、翌年の開催にあたり自治会役員改選とも重なり、準備期間不足を理由に第二回は中止の憂き目を見た。自治会からの助成金がなくなったことも大きな要因だったようだ。
そこで、自治会とは切り離して助成金なしでも出来る方法を考えようと、有志で組織する古宇磯祭り実行委員会(田村康治実行委員長)を発足。入場者の増員や有料コーナーを考案し、第二回は七百二十人の参加者を招き無事終了した。その後は毎年の開催となり、平均千二百人を迎えている。
船を利用しての参加者が年々少なくなり、第七回で船の運航を中止。参加料は大人二千五百円、子ども千円、三歳児以下無料に統一。昨年からは料金を郵便振り込みにしたこともあり、各々二百円上げている。
第一一回の開催は、磯に埋められた宝を探す「伊豆水軍埋蔵金探し」や「潮干狩り」、磯で捕らえたカニを出走させる「カニレース」、波打ち際を囲った魚網の中のハマチやアジ、マダイ、スズキなどをたも網や素手で取る「魚の掴み取り大会」、古宇港を停泊地とするヨットでの「クルージング体験」など。
また、有料コーナーでは「釣り堀」や「アサリの輪投げ大会」、「大物狙いのダーツ大会」、「磯祭り競り市」などがあり、投げた石が海面をジャンプする回数を競う地元でチョウナと呼ばれる「波切りコンテスト」なども行われている。また、昼食時には地元婦人が作った水軍鍋や炊き込み御飯が振る舞われた。
今回から新たに、イメージソング「カニカニROCK]が加わり祭りを盛り上げた。大平の栗原やすよさんが歌うROCKは、西浦地区センター長の甲田悦隆さんが作詞作曲し、古宇消防団分団長の江幡正美さんが編曲した正真正銘の地元賛歌。この曲に日大ダンス部の小俣里知子教授が振り付けし、同大の女子学生が踊りを披露した。
同地で食堂を営む実行委事務局の新井修一さんは、「磯祭りをやって古宇が変わったか、と地元西浦の住民に問われるが、『変わらない』と答えている。イベントを通じてノウハウを身に付け、人材が育ち、将来の町づくりに貢献出来るのではないか」と長い目で見る。
また、「外部の人間が来ることによって、住民が地元の良さを再認識するなどの利点もある。潮が引けば磯が現れるだけの古宇に、なぜ人々が金を払ってまで来るのか、その魅力に次代の子ども達が気付けば」と話す。
さらに、「四七キロの海岸線は沼津のドル箱だと言いながら、磯を埋め立てて道路を拡幅し、どこも同じ風景を作っただけ」と交通にしか目が行かない行政に疑問を呈し、「道路は車を速く通すために造るようだが、速く走りたくない、風景を堪能しながらゆっくり走りたい、という道路があっても良いのでは」と提起。
今回のスタッフは、地元協力者や大学生などのボランティアを含み約八十人。十一回続けられたのもボランティアのお陰だと新井さんは振り返る。市からは祭りのために砂利を岸辺に投入してもらっているが、補助金などは一切もらわずに自前の参加料収入などで運営しているところが真骨頂。
何をやるにも「市に頼る」ひ弱さは見えない。今年から学校五日制になったこともあり、次回からは土曜日の開催も視野に、干満の差が大きい大潮か中潮の日が選ばれる。
磯に付いた貝などで足に傷を負ったり、魚の掴み取りではルール違反の欲丸出しの大人の姿を見たり、県外の参加者が「伊豆の海」と思っていた古宇を「沼津の海」と認識を改めてくれたり、様々な古宇での体験を通じ、沼津のイメージアップに貢献しているのは間違いない。
「活性化」「活性化」のお題目で、独自のアイディアも持たず、地域を理解していない中央のコンサルタントの言うがままに進められる「活性化事業」は、古宇磯祭りを勉強したら、ヒントが掴めるかも知れない。
背後に控える山を活用した企画など、これからの活動に期待したい。
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